ローカル・マニフェストで自治体政治を変える
1.概要
2006年6月3日(土) 13:30〜16:30 日本プレスセンター10階ホール
(財)東京市政調査会主催
プログラム
主催者挨拶 東京市政調査会理事長 西尾 勝
基調講演 犬山市長、ローカル・マニフェスト推進首長連盟共同代表 石田 芳弘
パネルディスカッション
パネリスト 日本青年会議所国民主権確立特別委員会委員長 相澤弥一郎
衆議院議員、前北海道ニセコ町長 逢坂 誠二
かながわローカル・マニフェスト推進ネット副代表 長谷川朝惠
21世紀臨調事務局長 前田 和敬
コーディネーター 千葉大学教授 新藤 宗幸
(以下、文責内田です)
2.犬山市長石田芳弘氏講演
@犬山市について
・少人数授業を実施。全国学力テストは「やらない」と頑張った。
Aローカル・マニフェスト運動の経緯
・国と地方が「タテ」から「ヨコ」の関係に
・法令は「法律」と「命令」。
法律…議員が決めたもの…守るべき
命令…役所が決めたもの…守らない場合があってよい、との背景があった。
・地方分権で日本を「改革」するのでなく「再生」するのだ。
・ローカル・マニフェストをやりたがらない、腰が重い現役首長も多い。
比較されることだから。その点では新人有利、とも言える。
Bマニフェストと選挙論
・みんなの前で政策論争をやる自信のある人でないといけない。
・一連の流れ、
討論会→総合計画→予算→達成度公開→次の選挙 というサイクルになるが、一般に
「次の選挙」の部分だけがマニフェストと捉えられがち。それはちがう。
・それにはマニフェストの書き方自体にも問題がある。
・伝わらないと、意味がない。
・恵庭市長さんのマニフェストは読みやすい。
・これから進化するもの。配布の仕方への制約も撤廃へ、書く側の力量もまだまだ。
・マニフェストを評価するサイドが確立される必要もある。
・「多選禁止」。それによりシャドーキャビネットが準備できる。そうしないと「次が育
たない」。
C行政とのリンク〜行革の道具として〜
・地方議会改革なくして地方分権時代はない。
・地方議会は立法府である。予算修正権を持つ。このことを再確認。
・地方議会は基本的に、オール野党にならねばならぬ。
D地方議会と自治基本条例
・自治基本条例というローカル・ルールができつつあり、そうするとコミュニティと議
会との問題は避けられない。
・議員の定数、議員の歳費、市長の多選禁止など、市民が議論し決めるべきだ。
・議長の任期は1年と慣例化していることもあるが、これではだめだ。分かった頃には
もう終わりとなる。
E自身の体験的マニフェスト論
・北側正恭氏との出会い
・選挙区の秘書をしていた時代。「選挙屋」というイメージ。握手、土下座、涙の世界。
・「孫子」に「兵はき道(だます)にあり」とある。これが政治や選挙の哲学か、と疑問。
それならば「虚業」の最たるものだ、と考えていた。
・北川氏の「お願いから契約へ」の主張で「目からうろこ」。「PDCA」のサイクルが
腑に落ちた。
・選挙制度を「知性」で構築すべきだ。
・初当選後、初めての予算編成のときの経験。各議員から影響を受け、それを元に積み
上げる予算は、市長が手を入れる余地がないものに。それは選挙公約とは全く別モノ
であった。
・「それはマニフェストじゃない、マネフェストだ」と、北川氏から酷評を得た。新人の
最初の選挙段階から、書くべきだ。
・議員も代表であるから、市長の一存でマニフェストは書けない、との意見もある。
・実例として、学校給食が自校方式だったのを調理だけ民間委託した。すると一部議員
を先頭に大反対運動、署名運動が展開。どきどきし、眠れない日々だった。このとき、
もしマニフェストに明記しておけば、「これは市民との契約だ、これをやらねば市民と
の契約違反だ」と主張できる。その意味で、マニフェストはリーダーシップを支える
力だ。
・時に「烏合の衆」ともなるのが世論。リーダーシップとは、一気に踏み切りやり切る
ことだ。リーダーは勉強するよりやり切ることだ。そのリーダーシップを、マニフェ
ストが後押ししてくれる。理論よりも覚悟を与えてくれる。
・市長はガハナンス、議員は勝ち負け。米国大統領は皆、州知事という「首長」を経験
している。日本の首相は首長の経験をしない。日本の首相も、一度はガバナンスの経
験をしてから首相になるべきだ。
@マニフェストはどう政治を変えたのか?
逢坂 ローカル・マニフェストは、政治に科学を持ち込むことだ。
長谷 生活で使いこなせるマニフェストが望まれる。進行させるのは市民だ。
前田 政治改革と分権改革は双子。表裏一体。選挙から変えなければならない。
相澤 法整備がまだで、創世記の段階だ。まだまだ「市民のそばにない」。市民が実感する
までには何年もかかる。市民の方にも読み解く力が求められる。国の、各党のマニ
フェストを国民は比較できない。市民も勉強をする必要がある。
逢坂 94年に初選挙を戦った。それまで選挙に「フマジメ」という印象を持っていた。し
かしマニフェストという自己検証ツールが出現した。このことで「政策を語れない
政治家が世の中にはいるんだなあ」ということが市民にわかってきた。政策なんて
語れなくていい、「オレに任せろ、ガッハッハ」の吸引力もまた政治ではある。
「物語」を作れるのがマニフェストだ。どんなまちづくりをするのか、重点的に語
り、描けることはすばらしい。北海道恵庭市長中島氏のものはすばらしい。
国と地方の「ねじれ」が明確になってきた。国は地方を選挙の運動体としてしか見
ていなかったのではないか。そのことがわかってきて、問題点が明らかになり、公
選法改正へと結びつく。
長谷 市民にとって政治情報はマスコミからのみだった。それがマニフェストにより変わ
る。首長と議員との緊張関係も高まる。重箱の隅をつつく議会から政策論議へ、高
まりを見せている。しかし国のマニフェストへの期待は大きいが、地方のマニフェ
ストへはまだまだ期待が少ない。
前田 政治の仕組みの不具合が見えてくる。これに国民はストレスがたまる。それにより
論争も起こってきている。これまで「公約」というものを、言う方も聞く方も大切
に思ってなかった。03年に至り、「公約」が初めて重きを置かれた。
マニフェストによって、首長の「立ち位置」が変わる。議会も官僚も変わる。そし
てメディアが変わる。まだ試行錯誤の段階ではあるが。やがて評価の方法も変わる。
そうすれば、民主主義が変わっていくことになろう。
Aマニフェストを誰が、どう作るのか? どう実現するのか?
逢坂 「公約」と言わず「まちづくり目標」と言うべき。小さな集会単位での「お茶の間
懇談会」をベースに、目標を提示し、市民がブラッシュアップする、というのが望
ましいが、現実には数少ない。完成型よりもプロセス重視して作り上げるものだ。
長谷 市民は自分の分野の活動で忙しく、せいいっぱいだ。政治に参加する時間がとれな
い。そこで、誰かが代わりにやってくれないか、と望む。そのために政策をプール
する場づくりが必要であり、政策づくりを支援する仕組みが必要だ。
逢坂 マスコミとネット使う。社会保険庁の問題にしても、ネットで手軽に詳しい情報が
手に入る。
相澤 公開討論会は毎年、人が減る。飽きがくるのだ。これへの対策はプレスリリースだ。
中島 (客席から飛び入り。恵庭市長)私のマニフェストは、自分が議員の時代に議会質問
したことがらをまとめたものだ(別紙。ここでは略)。女性の生活実感で競うことが
いいことだ。
前田 読み手の側は、マニフェストに温かさや物語性を求める。マニフェストとは「絞込
み」であり優先順位だ。日本の現状では、選挙はひとときのお祭だ。
逢坂 議会の答弁を誰が書くのか考えてもらいたい。職員は「あれは市長が勝手に言った
こと」という顔をしている。
長谷 マニフェストの評価に携わりながら思うのだが、県や市の職員は「評価」されたく
ないのか? 高い評価をしたいのに、職員はなぜアピールしようとしないのか?
新藤 職員と教員は基本的に、人に評価されたくない?
前田 マニフェスト選挙は小選挙区制だ。中選挙区制は「人柄と人柄の選挙」だ。
相澤 議員の仕事は、市民には分からない。それを分からせるために、議員のマニフェス
トも有効だ。
新藤 政党のマニフェストには意味があるが、地方議員の個人のマニフェストとは?
逢坂 それは意味がある。会派のマニフェストの上でも、個人の「立ち位置」が明確にな
っていい。むしろ会派のほうこそ、何をやっているのか、わからない。
Bマニフェストは総花的?
長谷 得意分野だけ出されても困る。得意でないところはおざなり、では困る。ある程度
総合的であってほしい。
逢坂 全部書くことも必要ではある。が、限定的に書いて、あとは想像させるものである
ことも大事だ。「構想力」が示せることが大事だ。「古池や…」の句も、書いてない
ことを想像させるものである。
長谷 マスコミ側も、評価に一役買ってもらいたい。
逢坂 複眼的な評価が必要だ。
新藤 自己評価も、定期的にやるべきだ。
逢坂 評価が目的なのではなく、評価を通じて「対話」をすることがポイントだ。
中島 (客席から)議会ごとに、今ではマニフェストの進捗状況を議員からつつかれる。
すると「なにくそ、やってみせる」と思う。そして職員に「子どもに予算を投入で
きるような実績を出そう」と檄を飛ばす。すると職員が奮起する。それで実現でき
れば、それは議員のおかげだ。オール与党という議会のあり方もありがたいけれど
も(笑)
4.感想
極めて個人的なことから書きます。
昨年春の合併に伴う議員選挙に立候補する際、私は自分のリーフレットの表紙に大きく、「『構想力』と『行動力』」との言葉をキャッチフレーズとして掲げました。
表紙に掲げる言葉として「構想力」というのはいかがなものか、とのご意見も周囲からはいただきました。が、私は強く主張し、これを採用してもらいました。
リーフレットを受け取ってくださった市民の多くも、さほど注意をしてくれなかったかも知れません。わかりにくくて、読み過ごされたかも知れません。
しかしあれでよかったのだ、と、今回講演を聴講し、その中にこの語句が出て、改めて確信を深めました。
今の日本の選挙は、握手、土下座、涙の世界、と犬山市長。
それは選挙する人も、される人も、等しく感じている実態。そしてそれではいけないことも、多くの市民は感じていると思います。ですが何十年経っても改善されず、いや年を経るほどに、その傾向は強まるようにすら見えます。
「それには市民が目覚めることだ」といくら繰り返しても、私の実感からして、それは現実味があるとは思えません。唯一、その道を開くのは当選した私たちが勉強し、改革に挑むことだと思います。そこで今回、私なりに、自分のホームページに私なりに、議員マニフェストの試行版ともいうべきものを掲げてみました。
「そんな呑気なことは、固い支持組織があるからこそ言えることだ」という声もあるかもしれません。それはごもっともかもしれません。ですのでその意味でも、まず私から声を挙げさせていただきたいと発願したいのです。
この他、「市民が政策をブラッシュアップする」「職員も評価されるべき」「マニフェストはリーダーシップを後押しする」「マニフェストは首長を変え、議会、官僚を変え、マスコミを変え、評価を変え、そして民主主義を変える」などなど、珠玉の言葉がちりばめられていました。
これらの言葉にエンパワメントされて、私も粘り強く、ローカル・マニフェストの概念を市民に訴えてまいりたい。議会で役所で、繰り返し訴えてまいりたい。